自意識との戯れ方?

さて今回は、前回のポストのおまけ的な内容です。

 

↓前回のポスト

hechapprin.hatenablog.com

 

前回のポストで以下のDel Closeの智慧(?)に関して、僕がもう少し取り上げたいことがあったので、それをここで取り扱いたいと思います。

 

↓Del Closeの智慧ってのはこちら(詳しくは前回のポスト参照)

「デルの<ハロルド>における一般原則(Del's General Principles for the Harold)」

・あなた達は、全員が、サポートをする俳優である。(You are all supporting actors.)

・常に自分の衝動に気を配ること。(Always check your impulses.)

・”必要とされ”ない限り、決してシーン〔場面〕には入らないこと。(Never enter a scene unless you are

NEEDED.)

・共演している俳優を救うこと。作品については心配しないこと。(Save your fellow actor, don`t worry about the piece.)

・第一に為すべきことは、サポートをすることである。(Your prime responsibility is to support.)

・いかなるときでも、知性の限りを尽くすこと。(Work at the top of your brains at all times.)

・観客を過小評価したり、見下したりしないこと。(Never underestimate or condescend to your audience.)

・ジョークは不要(ジョークだと明言されている場合を除く)。(No jokes (unless it is tipped in front that it is a joke.)

・信頼すること...仲間の俳優があなたをサポートしてくれると信頼すること。彼らに重荷を負わせたとしても、彼らはなんとかすると信じること。自分自身を信頼すること。(Trust... trust your fellow actors to support you; trust them to come through if you lay something heavy on them; trust yourself.)

・起きていることの判断を避けること。ただし、(シーンに登場するか、シーンを終わりにするか、による)助けが必要か、次に続くのは何が最善か、あるいは、もしサポートが求められたら、どう想像力でサポートできるかは除く。(Avoid judging what is going down except in terms of whether it needs help (either by entering or cutting), what can best follow, or how you can support it imaginatively if your support is called for.

・聴くこと(LISTEN)

 

※何度か出てきているこちらの本からの引用です(日本語訳は僕です)。

 

ここで、一番初めにあるのが

・あなた達は、全員が、サポートをする俳優である。(You are all supporting actors.)

なんですが、これをちょっと「自意識」という観点から考えてみたいと思います。

 

インプロって、人前でパフォーマンスしたりもするんですよ…それってちょっと普通はビビりませんか?

で、あろうことか、即興でやるんですよ(それがインプロなんですが)

これはもう、正気の沙汰ではありませんので、そのビビりようっていったら、想像するだけでも…(笑)

 

確か、このビビることに関して、なにかのものの本には「太古の昔、人間は生身ではそれほど強い種族ではなかった。それが故に他の肉食動物に獲物ととしてターゲティングされて「見られる」ことは、捕食されて…しまうことのプレリュードだった。

という訳で「見られる」ことは生命の危機と原始的に結びついた「やべえよ」感が今でも付きまとうのである」的なことが書いてあった記憶があります。

 

なもんで、この名残で「見られている」ということに意識が向かうと、途端に緊張してしまうんだとかなんとか…。

 

まあ、この話の真偽は別として、自分がどう見られているか、言い換えれば「意識のベクトルが自分に向いている(それも過剰に)」のが、いわゆる「自意識過剰」状態で、こうなると緊張してしまう人が多いのではないでしょうか?
(「え?…俺は別に…?」って人は、それまでの経験でそれを克服してきた(慣れてきた)か、そもそも危機感を感じるセンサーがぶっ壊れてるか、危機意識が変容してしまってある種の露出狂的になっているか、はたまた…まぁ、いくらかの割合でいるみたいです)*1

 

人前で表現すること(≒パフォーマンス)に不安や抵抗を感じる人は、たいてい自意識過剰だったりします。意識が自分に向き過ぎているのです。

そんな時は相手に意識を向け、しかも助けるという目的を持つことで、自分が持っている意識の総量に占める自分に対する割合を減らすことになり、不安を和らげることができます。

自分に意識が向けば向くほど、どうなっているのかが気になり、でも確認はなかなか出来ないから不安になるのです。

例えば自分に意識を8割向けながら、相手にも意識を8割向けることは、意識の総量からして、普通は出来ません。

 

なわけで、インプロ(に限らずパフォーマンスをすること)の初心者は、意識を外に開いて、相手に向けましょう。そして、サポートを心がけましょう。

 

このあたりのことについて、お勧めのシアターゲーム(しばしばインプロ・ゲームと混同されたり、同一視されたりする…)があります。

(厳密にはシアターゲームはインプロなのか、という議論があります。今日の日本ではインプロ・ゲームといいながら、それってシアターゲームだよね?とか、マイズナ―のエクササイズだよね?みたいなのが結構あって、だいたいそういうのをインプロ・ゲームとして紹介される場合は、本チャンのものの残滓に近いものになっている気がするのは、僕だけですか?)

こちらの本の比較的最初に載っている「さらす(Exposure)」というゲームです。

導入のゲームということもあって(?)めちゃくちゃ詳しく(というかこの本は全体的にそうですが)書いてあるのですが、たぶん普通の人は一読してもピンとこないかもしれません。が、ひとたび実際に演ってみると、途端に「ああ、なるほど、そういう感じね!」となること請け合いなので、ぜひ実演してみましょう。

 

また、「自意識」とどう付き合ってリラックスするか、については、これもまた鴻上さんの本なのですが、こちらなんかがお勧めです。

身体によるリラックスから入って、スタニスラフスキーの方法論の中の「与えられた状況」を嚙み砕いて、分かりやすく説明されています。

 

一方で、表現欲旺盛で(役者志望だった僕なんかはいまだにこの気があります)、どちらかというと目立ったり注目されたりすることに快感を覚えてしまった悲しい生き物もいます。

そして彼らが陥りがちなのが「どうにかして観ている人に印象を残してやろう(よく爪痕を残す、とかも言われます)」という思考です(特に経験が浅くて未熟だとこの思考に陥りがちです)。

 

あるいはあまり表現することにこれまでの人生で触れてこなった人が、インプロを知って、いわゆるYES ANDが推奨される場において(これも本当は…やめましょう)、初めて(?)賞賛に近い注目を浴びたりした場合に、快感ホルモンが脳内を駆け巡る経験をした人も、この予備軍な気がします(笑)。

 

こうした「俺が、私が!」的な人は、インプロでは(お客さんの印象に残って)一時的にうまくいく(ように思える)ことがあっても、長い目で見るとあんまりうまくいかないような気がします。

それは(僕がここで述べている)インプロが、本質的に「Communal art form(協同芸術形態)」だからです。

(これもどこかのインプロの洋書に書いてあって、良い表現だと感じて記憶に残っているのですが、どの本だか、失念しました…。いろんなインプロの洋書を読んでいると、こうした「ああ、そういう表現をするのか、なるほど、しっくりくる!」ってのがいっぱいあります)

 

そこでは、「One for All, All for One.」が原則で、「All for just Myself.」になってしまうと途端に破綻しやすくなります。

 

これをして『いいインプロバイザーの条件は、「この人と演ると自分が素敵に感じられ、うまくなった気がするし、ぜひまた一緒に演りたい」と思われることだ」と言われたりします。

 

まあ、でもこれは別にインプロに限ったことではないと思いますが…。

 

余談ですが、「最高の男とのデート」的な小話?がありまして、それはこんな感じだったと記憶しています。

ーーー

とある恋多き女が、今までで印象に残っているデートについて語った。

女『彼は今までデートした中で最高の男だと思ったわ』

聞き手『では、それが最高のデートだったのですね?』

女『いいえ、それは2番目に最高のデートだったわ』

聞『では、最高のデートとはどんなお相手だったのでしょうか?』

女『そうね。彼とのデートで、やっぱり私は最高の女だって思ったわ』

ーーー

とかなんとか。これを知った時に、ああなんか、人間の本質ってこうなんだろうなぁって感じました。

 

おまけのポストと言いつつ、この時点でまた既に4000字近くになっているので、そろそろまとめに入りますが…

 

つまりは、人前で表現することに抵抗があってちょっとビビってしまう人も、表現欲が旺盛で、つい目立ってやろうとしてしまう人も

・あなた達は、全員が、サポートをする俳優である。(You are all supporting actors.)

をまずは意識すれば、素敵なインプロが生まれてくる第一歩になると僕は思っているので、その意味で、「これが最初に来ていることが、それだけ大事で、だからこそこの位置にあるんだろうなぁ」と勝手に勘ぐっております。

 

ビビりが緩和されて、インプロの本来的な形態である「Communal art form(協同芸術形態)」に向かう取っ掛かりになるわけですから、これを念頭に置くだけで、あなたは既にインプロ・マスターへの第一歩を踏み出したも同然です。(しかしその道のりは長く(されど楽しく)、僕にはまだその行方が見えません…)

 

スポーリンの『Get out of the head, into the space』も、場に共演者がいた場合は、近しいことが当てはまる気がするので、無関係ではないでしょう。

これもまた余談ですが、楽しくインプロをやりたい!っていうだけならいいんですが、やっぱもっと深いところもやりたいってなってくると、スポーリンのシアターゲームはめちゃくちゃお勧めです。特に相手や場に対する意識の向け方、置き方(≒焦点≒フォーカス)から得られるものは多く、やるとやらないでは格段に違いが出るので、その場のリアリティ(真実味)が断然違ったものになってきます。実は僕がインプロ・ゲームのワークショップをする際にも(参加者が比較的思考寄りの場合は得に)、シアターゲームをアレンジしたものを最初に導入することが多いです。こうすることで一気に想像の世界に身を置くことが容易になってくることが経験上多いからです。

 

で、サポートするにあたっては、やはり

・聴くこと(LISTEN)

がめちゃくちゃ重要になってきます(しつこい?)

これができてないと、「え?そこ?」っていう明後日のサポートをすることになるからです。
(まあその齟齬がトリガーになって、お互いにとっても未知に行けることは多々あるし、それがインプロの醍醐味の一つだとは思っていますが、さすがに毎度毎度明後日なことをされると厳しいですから…(ったのは僕の力不足???))

 

なので、最後の締めとして、しかも大文字で書かれていたりする訳です(僕の勝手な推測ですが)。

 

とまあ、案の定、長々と書いてきてしまいましたが、初っ端にするべきことが提示され、締めにその肝を持ってくるこの並びは、本質をつかんでないとなかなかにできない芸当だと思うので、感服しっぱなしな訳です。

 

と、やたらとDel Closeのことを褒めまくったりしてきている印象がありますが、僕がインプロをするにあたってはやっぱりこだわりたいストーリーテリングについては、Keithのこともかなり参考にしています。

とはいえ、結局あれは脚本理論に基づくところが多く(Keith自体がロンドンのロイヤルコートシアターで働いていた経験があるので、さもありなんですが)、であればその元になる脚本論自体を知ったほうがもっと濃いものが手に入るのでは?と安直に考え、その分野の本を読みまくっていた時期もありました。

↓こちらの<脚本術/理論>にその本が列記されています。

hechapprin.hatenablog.com

 

結果的に、ストーリーテリングについても、さらに深く理解できた気がしますし(そのお陰で直近までのインプロお休み期に入る前に取り組んでいたFull‐Lengthのインプロにも大いに役立ちました)「ふむふむ、Kiethがああ言ってるのは、これを念頭に置いてるからなんだろうな」ということも推測でき、とても為になったので、凝り性の人は、ぜひこの書籍リストを参考になさってください(笑)

これもお勧めだよ!というのがあれば、ぜひ教えてください。

 

と、おまけのつもりがまた望外に長くなったので、このポストはこの辺でお開きにして、次回は本筋に戻ったポストをしたいと思います。(出来るかな…)

*1:僕もちょっとこっちよりですが…。