その不確定性こそその真髄か?
最近、僕には悩んでいることがあります。それは、「インプロ・ゲームってなんなんだろう?なにをして、インプロ・ゲームと呼ぶんだろう」ってことです。
というのも、いろんなところで見聞きする「インプロ・ゲーム」なるものが、「え?それもインプロ・ゲームなの?」と思うことが多くなってきているからです。
今回は、このテーマについて、僕の遭遇したエピソードから始めて、僕なりに、ちょっと考えてみようと思います。
エピソード①
※個人の名誉のために(?)少し話を改変しています。
これは以前に僕が「コーチングやファシリテーションに活かすインプロ」というワークショップをしたときのお話です。
この時は「コーチングやファシリテーションにインプロが良いって聞いて、いくつかインプロのワークショップに行ったんだけど、なんかムチャぶりされたり、奇抜なことさせられたりで、思ってたのと違った。インプロってそういうもの?違うよね?ちょっとちゃんとした(?)ワークショップやってくれない?」みたいな依頼でした(笑)
聞いた話からの憶測ですが、業界的に(ワークショップを自分で企画運営する人は、自己研鑽と同時に、自分のコンテンツのヒントになるネタ探しに、よく他のワークショップに行くことが多いです)、多分どこかでインプロ・ゲームを齧った人(あるいは齧った人から齧った人)が、ゲームのやり方だけを知って、それを自分のワークショップの一部に組み込んだのをさせられたんだと思います。
※もう10年以上前の話なので、まだ今ほどインプロが認知されていなかったので仕方ないかなとも思います(今もインプロの認知度は…ですが…)
そんななので、その苦い経験を払拭すべく、そしてインプロの楽しさを知ってもらうべく、極力、心理的抵抗が生じないようにワークショップをデザインしました。
デザインの意図としては「なじみのあるものに近しい内容のものから入り、徐々に自分の中にあるものを表現することにも慣れてもらって、その上で、他者のそれを受け取りながら共同して積み上げていき、気づいたら、この場にいた人たちが、それぞれでは想像してなかったことが創造されている!なにこれ不思議!?…楽しい!!」ってなりつつ
「インプロそのもののだけのワークショップにならずに、インプロのエッセンスは残しつつ、きちんと対象者に活きるラーニングポイントはしっかり含まれていて、かつそれを楽しみながら体験学習できる」ともなれば大成功って感じでした。
(結果的になかなかな反響を受け、その後、継続化していくことになりました)
で、そのワークショップの導入としてウォーミングアップ的に、とあるファシリテーション手法の本に載っていたアクティビティを使ったのですが、後日聞いた話では、その人は自分のオリジナルワークショップのコンテンツとして、それをインプロ・ゲームとしてメニューに組み込んでいたそうです。
(余談ですが、その人は、他のインプロ・ゲームも自分のコンテンツとして使えるものがあったらどんどん盗むつもり、とワークショップ中に言っていましたが、僕のファシリのスタイルは、特に一般の人が多い場合は、サイドコーチ*1(なのかすらも分からないつぶやき的なものも含め)を頻繁に入れて、参加者がどんどんノっていくようにする感じなので、これはマネ出来ない…と諦めたようでした)
と、まぁここまでは良くありそうな話なのですが、これには後日談がありまして…
なんと、ある時にインプロ界の大御所(?)的な人のインプロのワークショップに行ったときに、そのアクティビティがインプロ・ゲームとして紹介されていたのです…。
しかも、こっそり聞いたら、他のワークショップで知ったのを良いなと思って今回使用したとのこと(使い方は僕が先に述べた際の時とほとんど同じでした)。
(ここまで書いて、また怒られそうな気がしてきましたが、まあ勢いなんでこのまま残します…)
良く「インプロ・ゲームは今では数えきれないほどあり、今日もまたどこかで新たなものが生まれ始めている」とは言われますが…
なんとまあ、インプロの節操のなさ懐の深さよ…。
インプロ・ゲームって、なんなんだろ…。
エピソード②
二つ目のエピソードは、先のものの後に紹介するにはインパクトに欠けるのですが、これは、とあるインプロのワークショップに行った際のことです。
※こちらも個人の名誉のため(?)に多少、脚色してあります。
このワークショップの触れ込みとしては、「スポーリンのインプロ」とかだったと思います。
手前味噌ながら、僕もViola Spoinの洋書は4冊ほど持っていまして(日本語の『即興術』ももちろん持ってます)、仲間内では僕が解読した内容を元にシアターゲームをしたり、どこかのインプロのワークショップでは、ふわっとシアターゲームがインプロ・ゲームとして紹介されていて*2、シアターゲーム自体は、その質はどうあれ、一応の経験はありました。
このとき僕は「ふむふむ、スポーリンのシアターゲームでなくて、インプロなのか!どうアレンジされたものが待っているやら…これはあれかな?息子のポール・シルズとともに、コンパスからセカンドシティへの流れを踏まえた、そこら辺の内容的なやつかな?…これは楽しみだわい」と思ってワークショップに向かったのですが…
そこでインプロ・ゲームとして紹介されていたのは…完全にシアターゲームでした…。
しかもそこのファシリテーターの人のテーブルには以下の二冊に付箋がついて鎮座ましましてました…。
まぁ…確かに、この二冊は使い勝手がいいけども…いいけれども!!!
ただよくよく考えてみれば、Viola Spoinの集大成ともいえる(?)この本は「Improvisation~」な訳だし、ワークショップの内容自体は丁寧にじっくりやれたから、それはそれでよかったから…と一応は自分を納得させることにしましたが…
でも…「スポーリンのインプロ」かぁ…
インプロ・ゲームって、なんなんだろ…。
インプロ・ゲームじゃないもの?(個人の見解です)
とまあ、ここまでの話を読んでくださって「なんかそんなのどうでもよくね?」って思っている方が大半かと思います。
まあ、それはそうなんですけど、なんかモヤモヤするんですよね…。
で、このモヤモヤは多分、僕の中に「こういうのがインプロ・ゲームだ」ってのがぼんやりとあるんだと思うんですけど、「じゃあそれは何かはっきり言ってみろ!」と迫られると、「えっとそれは…」と途端に、思春期に憧れの人に街中でばったり居合わせたときのようにモゴモゴしてしまうのですが…。
ただここで思考を切り替えて、逆に「どんなものだとインプロ・ゲームと僕が感じないのか?」を考えてみれば、なにか見えてくるものがあるかと思い、ひとまず過去の記憶をさかのぼって、なんか違うなぁと感じたものを3つくらい思いつくままに挙げてみますと…
①不確実性が低く、やる前からやったらどうなるかが見え見えで、実際にやっても、その予測の範疇を出ない結果と体感しか得られない
②遊びどころが少なく、ファシリテーターが持って行きたい目標が見え見えで、それをこなすタスク化している
③なんか、やってる人たちや場の雰囲気がかたくて、重力が心なしか普段よりも重く感じる(興じられてない)
これらのいずれかあるいは複数が当てはまるものに遭遇した時に、僕は「あれ?これってインプロ・ゲームの体を成してる?」って感じる気がします。
ただこれって、インプロ・ゲームとして提示されているものの仕組みの問題というよりは、それの扱われ方/行われ方と捉えた方が、しっくりくる内容ですね…。
なんだろう…やっぱりインプロっていうからには、以前に書いたことは必須要件であってほしいし
(↓これです)
インプロ・ゲームって言った場合の「ゲーム」は、僕としては「遊戯」のイメージがあって、「遊んで戯れる」って要素が抜けると、なんか違うと感じるっぽいですね。
となると、どんなアクティビティでも、その扱われ方/行われ方で、インプロ・ゲームに成り得るし、逆に、いわゆるインプロ・ゲームとされているものも、インプロ・ゲームではなくなるってこともあるってことになるのかなぁ…。
そうすると、エピソード①でのワークショップ開催の依頼をされた経緯およびその後の継続化にも少しうなずける気がしてきました。
…てことは、僕が夢も希望も満ち溢れていた童だった頃に、飽きもせずに何回も遊んだ「だるまさんが転んだ」もインプロ・ゲームって言えたりするってことになる?
いやそれは言い過ぎか…でも、けっこうあの遊びにはインプロをしていく上で重要な要素がてんこ盛りな気もするから、あながち言い過ぎでもないのか…???
アナタはどう思いますか?ぜひご意見をおきかせください!!
インプロ・ゲーム足りえるもの?(個人の見解です)
ってところで終わると、「それはHowであってWhatじゃないじゃん」って声が聞こえてきそうですが、僕としてはこのHowこそがインプロ・ゲームを規定する重要なものというのが、今のところの見解です。
ただ、これだと、なんか素人の戯言みたいだし、煙に巻いてる感も若干感じるので、これを書きながら、「そういえば昔こんなこと考えたなぁ」ってのをここでシェアしたいと思います。
これは、僕がイメージしているインプロをしていく際に「こんな筋力(インプロ筋と勝手に呼んでいます)があると良いよ」という項目を、僕の基準で(いろんな洋書を参考にしながら)ある程度の網羅性をもってカテゴライズしたものです。
ここにあることが(最低一つだけど、だいたいは複数を満たすものが多い)楽しみながら鍛えられたり引き出されたりするアクティビティのことを、僕としては、狭義での、いわゆる「インプロ・ゲーム」と見做しています。
『ゲームで鍛える/呼び覚ますインプロ筋』
≫ 相手と繋がる(イエスとアグリーメント)
≫ 瞬間に居続ける(ヒア&ナウ)
≫ 無理なく自然に軽やかに(スポンタナティー)
≫ 環境を作り、物を扱う(オブジェクトワーク)
≫ 力関係の把握と変化(ステータス)
≫ 意図を持った選択をする(アクティブチョイス)
≫ アイデアを紡ぎ、物語を語る(ストーリーテリング)
など
言い訳みたいですが、僕の知る限りでは、明確にこれが「インプロ・ゲームだ」という定義のようなものは、ほぼなくて、インプロをやっている人たちのなかで、だいたいの共通認識はあるとは思いますが、それでも具体的に詳しく聞いてみると、多少のズレ/ブレは出てくると思います。
何処かでも書いた気がしますが、インプロはその系譜も含め、誰から習った/を参考にしたか、あるいは習った/参考にしたものの中で、なにを取り入れたか、によって、流派のようなものがあるのが実情です。
このこともまた、ズレ/ブレの一因になっていると思われます。
ちなみに、この本もインプロ・ゲームをカテゴライズ(Bonding/Focus…など)していて、その中には「パーティーゲーム(Party Games)」というカテゴリーもあります。
※「パーティーゲーム(Party Games)」の説明から一部抜粋
These games are fun. They are fun party games that can be played recreationally.
これらのゲームは楽しく、レクリエーションとして楽しめるパーティーゲームです。
という感じで、特にインプロで活用される要素が鍛えられ/引き出されなくても、この本の中では、インプロ・ゲームとされています。
そんなこんなであやふやなまま、今日もまた、インプロ・ゲームは増え続けて行く訳です…。
おまけ
さて、ここでまた宣伝チックになってしまいますが、初歩の初歩の広義でのインプロ・ゲームについては、過去にこんな動画集を作っていました。
全部で100個(各再生リストに50ずつ)ありますので、「具体的にインプロ・ゲームがなんのことか良く分からん」という人は、ぜひ参考にされてください。
※現在は「インプロsalon」の活動は休止中なので、Twitter等はやっていません…
(FBページはこのblogの告知等をかろうじて行っています)