遊んで祈ってインプロして

"I Guess Everything Reminds You of Something."

さて、以前にこちらのポストで

hechapprin.hatenablog.com

KiethとDelというインプロの偉人の発想の仕方と扱い方を考察してみましたが、

 

今回はこれをもう少し深堀して、「創造性」について考えてみようと思います。

 

僕のインプロのワークショップ(一般の人向け)に来たことがある人は聞いたことがあるかもしれない「創造性を運んでくる妖精『ジニーさん』」のお話です。

 

『ジニーさん』の元ネタはこちらの動画となります(日本語の字幕で視聴できます)。

youtu.be

詳しくはこの動画を見て欲しいのですが、ここでは「創造性は個々人に帰属するものではなく、妖精が運んでくるもの。創造性というジーニアス(ジニーさんはここから取りました)は個人の才能ではなく、妖精に宿るもの」といったようなことが語られています(ざっくりとですが)。

 

「妖精」に似た言葉で「妖怪」というものもありますが、もともとは妖怪は「いた」ではなく「あった」とされていた、とどこかの本で読んだ記憶があります。

 

これは、妖怪が「存在」ではなく「現象」であったことを表しているそうです。

 

となると、妖精も存在ではなく、霊的な現象(創造性)を存在化して人間が知覚しやすくしたものとも捉えられそうです。

(精霊が実体のないもので、妖精は実体のあるもの、という定義もあるようですが、ここでは別の話です)


つまり、「創造性」という妖精=『ジニーさん』はどこかからやってきて、運よくそれを捉えることによって、創造性は発揮され(たように知覚され)るもので、自身の才能に依拠するものではない、という考え方ですね。

 

そういえば「天分」という言葉もあり、これは「天から”与えられた”才覚」なので、ちょっと近しい気もします。


先の発想のポストと絡めると、創造性は、場や共演者を介して、自分にもやってくるというふうに考えることも出来るかもしれません。

 

というのも、インプロでは、創造性が発揮されるものの一つと目される「発想」をする際には、「連想」をよく使うからです。

 

無からではなく、ナニカから発想をするわけです(まあインプロでなくてもそうなのかもですが)。

 

そのナニカは、大抵は共演者や場(にある、これまでそこに積みあがってきたもの/それにより出来上がった場の雰囲気)、だったりします。

 

それに自分が刺激を受けて、発想をして、創造性が発揮されるわけです。

 

ただ、より正確に言うと、今は「共演者や場=外界」と「自分=内界」を分けて記述しましたが、実は内界である自分すらもナニカである、とも考えられそうです。

 

その理由は、外界からの情報と内界である「感情/思考/衝動/欲求/観点(世界をどう認識しているか)」との相互反応によって、発想はされていると考えられ、

「ナニカから発想する」とした場合は、その両方がナニカに当たると捉えることが出来るからです。(強引?)

 

となれば、発想の際に重要となってくるのは、外界(共演者や場)や内界(自分の内面)のナニカをしっかりと捉えることになります。

 

そしてそのためには、そう、ここでもやはり…Listen(全てを聴くこと)が大事になってきますね。

 

(それほどListenは大事なのです。Listenについての過去ポストはこちら)

hechapprin.hatenablog.com

 

そんなこんなで、捉えたナニカを、どう発想して創造性を発揮するかを、「自分の才能/能力」次第とするのか、はたまた『ジニーさん』次第とするかで、見えてくる世界が違ってきそうです。

 

僕はインプロの初心者で「自分には創造性なんかない」と思い込んでいる方には

「この場にたまたま『ジニーさん』がいれば、それは発揮されるし、いなければ発揮されない。

あなたが関与できる部分はゼロではないが限られたもので、殆ど全ては『ジニーさん』次第。

 

そして『ジニーさん』が大好きなのは「楽しそうな雰囲気」と言われている。

なので、僕らが出来ることといえば、『ジニーさん』がここに来たくなるように、目いっぱい遊んで、楽しい雰囲気をつくること。

 

ちなみに、遊ぶことを英語では「Play」っていうけど、演じることやお芝居のことも「Play」で同じ単語。たぶん遊ぶことと演じること、そしてお芝居ってのはどこかでつながってるんだと思う。

 

余談だけど、日本人にはほとんど同じ音に聞こえる「pray」っていう英単語の意味は「祈る」。

 

だから、楽しく遊んで『ジニーさん』が来てくれるように祈ってインプロをしよう!」

 

と言葉遊び(駄洒落?)を交えた方便を使ったりします。

 

そうするとけっこう「あ、じゃあ別に、特に面白くもクリエイティブでもないものになっても、私のせいじゃないんだ。遊んで楽しむぐらいなら出来そうだから、あとはジニーさんが来てくれるように祈ろうっと」と、

楽な気持ちでインプロをすることができて、結果として興味深いものが出来上がったりすることも、しばしばです。

 

僕はインプロ界の陰陽師を目指していて、これは僕の式(≒呪)だったりします。が、式がバレると効力が減退するので、この話はあまり広めないでください…。

 

 

また、インプロには「Discover(発見)」と「Invent(発明)」という対概念のようなものもあります。

 

これはちょっと上級者向けなのですが、ついでなので、ここでご紹介しておきます。

 

「Discover(発見)」では、場には、自分と相手がそれまでしたこと、思ったこと、感じたこと、などなどが含まれている/溜まっているとし*1

でもそれらは、まだ見つかっていない/気づかれてない/注意を向けられていない、が為に知覚されずにあたかも薄いベールがかかっているかのように、はっきりは現れてない、とします。

そして、そのベール(≒coverしているもの)を外す(≒Dis)ことにより、既にそこにあったものを発見することを「Discover」とし、こちらは多くの場合「ストーリーに沿っていて自然であり自明である」とされ、推奨されます。

 

また、そうではなくて、この場ではない何処かから持ってきたかのように感じられるものを提示することを「Invent(発明)」とし、これはほとんどの場合「唐突感があり、ご都合主義に感じられ、ストーリーのつじつま合わせとしては安直である」とされ、推奨されません。

 

『ジニーさん』の話にすると

「Discover(発見)」は『ジニーさん』が来てくれるまでじっくり遊んで(それまで一つ一つ丁寧に積み上げて)優しく挨拶をする

「Invent(発明)」は『ジニーさん』の気持ちはお構いなしに、無理やりとっつかんできて周りに見せびらかす

というイメージを僕は持っています。(伝わりますかね?)

 

最後に「おまけ」として、「Whose Line is it Anyway is it Anyway?」というインプロの大人気番組(英語)も添付しておきます。

※こちらは協働よりも個々人の技量に焦点が当たっていた番組で、インプロと言えばこの番組を思い浮かべる人は、インプロというのは「どれだけ面白いこと、すごいことが、その場で出来るか」を示すものだと思っている傾向があります。※次回のポストへの伏線です(笑)。

 

youtu.be

*1:これらを「Weight」とも呼びます