インプロのよくある勘違いとへちゃっぷりんの見解
※このポストはおおよそ、へちゃっぷりんの独断と偏見の塊ですので、参考程度にお楽しみください(とはいえ、僕としては一応これまでの膨大な調査と豊富な実践をもとにしているつもりなので、あながち的外れでもないとは思っています)。
さて、前のポストの最後に
「おまけ」として、「Whose Line is it Anyway is it Anyway?」というインプロの大人気番組(英語)をご紹介しましたが、実はこの番組が大反響を生んだおかげ(/せい?)で、「インプロと言えば、その場でぱっと面白いことを思いついてやるもの」という、如何に瞬時に機知に富んだことを行えるか、を示すものだという認識の人が、欧米には一定数いるようです。
それはそれで、別に間違いという訳でもないのですが(そういうインプロもあるのですが)、僕がこのblogでご紹介してきたインプロは、それとはちょっと異なるもので(ベン図的に重なりはあるので、全く別物という訳ではありませんが)、
「個人の機知」というよりは、どちらかというと「互いを支え合うように協働的な営みを繰り返すことによって生まれてくる創造性の中で遊び、楽しむもの」のようなニュアンスでした。
と、こう言葉で書いてみても、いまいち伝わりづらいと思うので、今回は「こう勘違いされていることがしばしばだけど、それは僕の思っているインプロとは違うかな」という、ある種逆のアプローチをすることによって、その輪郭を浮かび上がらせていきたいと思います(浮かび上がってくるかな?)。
ということで、まずは思いつくものをいくつか挙げてみます。網羅的なものではないことはご承知おきください。
<インプロのよくある勘違い>
- 1.面白いことをやる、思いつく必要がある
- 2.変なこと/奇抜なこと/唐突なこと、をするよう「ムチャぶり」される
- (1と2についてのへちゃっぷりんの補足見解)
- 3.インプロ・ゲームのことである
- (3.についての補足)
- 4.アイスブレイクみたいなものである
- 5.エチュードやアドリブのことである
1.面白いことをやる、思いつく必要がある
まずはこれですね。特に米系のインプロは、コメディに類するものが多い(そうじゃないのもありますが)というのが、こうした認識のもとになっているものと思われます。
しかし、そうした米系のインプロでのコメディというのは、ギャグやジョークに基づくものではなく(むしろそれらは嫌煙され)、シーンを演じる中で、正直なリアクション(Honestyという単語は米系のインプロの洋書では頻繁に登場します)をすることにより生まれてくる真実性を、その面白さとするのが本流のようです。
これは、当blogでは幾度か紹介している米系インプロのバイブル(そして僕にとってもその一つ)である以下の書籍の中でも
※()内の訳は僕
*Be honest.(正直に)
*Don't go for the jokes.(ジョークに走らない)
*There's nothing funnier than the truth.(真実より面白いものはない)KEY POINTS FOR CHAPTER ONE
*Don't make jokes.(ジョークはやらない)
*Let humor arise out of the situation.(状況からユーモアを立ち上がらせよう)
*Take the scene seriously.(シーン/場面を真剣に受け止めよう)KEY POINTS FOR CHAPTER TWO
とあることからもそう言えると思います。
ということで、真摯にシーン(あるいはインプロ・ゲーム)に取り組みましょう。それでだけでいいのです。イージーピージー、ゥラィ?
2.変なこと/奇抜なこと/唐突なこと、をするよう「ムチャぶり」される
これは2つの要素が入っているので分けて書きますが、おおもとには、即興が度胸試し/プレッシャーへの耐性が求められることを(一般的には(特に最初は)多かれ少なかれインプロにプレッシャーを感じるのが殆どだと思います)過度に強調していることからくる勘違いだと思います。
(インプロの理解が浅い研修講師やワークショップファシリテーターがやりがちなイメージがあります)
2-1.変なこと/奇抜なこと/唐突なこと、について
これは何が/どうして「変なこと/奇抜なこと/唐突なこと」に見える/感じられるかというと、それが「これまでの流れ(積み上げてきたもの)/状況/文脈にそぐわない」からです。
先のポストでいうとことの「invent(発明)」に当たります。ということは寧ろ推奨されないことになるわけです。
恐らくこれをさせる人の意図は「恥をかかせて、それに慣れさせる」とかが思い当たりますが、そもそもそんなことを無理にさせなくても、なにかしらインプロをしていれば恥をかくことなんてしょっちゅうです。でも、それで良いんです。いや、それが良いんです。
2-2.「ムチャぶり」について
こちらは先に紹介した『Truth in Comdey』の中の「CRIMES IN IMPROVISATION(インプロにおける犯罪)」(p.126)にこんなエピソードが載っています(長くなるので端折って意訳します)。
とある女性がDelに「インプロで”質問”するのは最も悪しき行為ですよね?」と”質問”します。するとDelは「僕に”質問”しているのかい?」と返します。(この辺がお洒落ですね)
そして「質問は2番目に悪しき行為だ」と応えると共にその説明をします。そこで当然女性は「では最も悪しき行為は?」と尋ねると、Delは彼女の目の前で架空の本を開いて手渡す仕草をし「これだよ。声に出して読んでみるがいい」とやります。
これっていわゆる「ムチャぶり」ですよね。これは相手にInvent(発明)を強いるだけでなく、リアクションや正当化など、あらゆる負荷をかける行為で、互いに協力して創造していく行為とはかけ離れていることとされます(しかもそれをされた相手は大抵ぎこちない感じになり、これは「相手を素敵に見せる」の真逆でもある「おまけつき」ともあります)。
という訳で、協働をその基底とするインプロにおいては「ムチャぶり」はご法度とされます。
(1と2についてのへちゃっぷりんの補足見解)
この二つには、実はインプロの場を預かる者(ファシリテーター/コーチなど)として、単に「インプロやって楽しかったね!」だけで終わらせずに、その体験が参加者にとって有意義なものになるかどうかを分けるクリティカルな要素と密接なかかわりがあると思っているのですが
この話をし出すと、また内容が長くなってしまうので、近いうちに別のポストで「インプロの場を預かる者として」的なテーマで書いてみようと思っています(乞うご期待!?)
3.インプロ・ゲームのことである
たぶん一般的には、インプロとの出会い方は、インプロ・ゲームを知る/体験することが大半だと思います(インプロの公演にしても、インプロ・ゲームでないものを演っているのを観るのはレアケースだと思うので)。
なので、こうした勘違いをする人が多いのはある意味では当たり前な気がしますが、インプロ・ゲームはインプロのすべてではありません。
僕は学生時代はバスケをやっていたので、良くバスケの例を引き合いに出しますが、インプロ・ゲームは、バスケではパスやドリブルやシュート(ものによっては、リバウンドから、フォーメーションの動き、それ以前の体力作りや特定の身体能力強化に当たるものもあります)のようなものだと認識すると分かりやすいかもしれません。
バスケは、決してシュートだけでは成立しないですし、ドリブルだけでもなく、それらを総合的かつ有機的に駆使して、試合がなされるわけです。
ただし、バスケにおいても、トリッキーなボールハンドリングやフリースローなどの連続ゴール勝負など(インプロ・ゲームにあたるもの)を、パフォーマンスとして昇華して(特化して)見せるものも存在します。
インプロに置き換えると、インプロ・ゲームを必要ならアレンジをして公演で見せられるようにしているものもありますが、それらはインプロ・ゲームの一部であり、インプロ・ゲームの中には、純粋にトレーニングの為のものもあります(それ以外の用途のものもあります)。
なので、インプロのパフォーマンス(公演)といったときに、インプロ・ゲームがその演目とされているものは、僕の中ではバスケを成立させる要素を取り出してパフォーマンス用にアレンジしたもの、と同等のものと理解しています(特殊な演出が入れば話は別ですが)。
※ゲームショーとも呼ばれます。
では、バスケの試合に当たるインプロのパフォーマンス(公演)は何かというと、僕にとって一番しっくりくるのが「いわゆる演劇と同様に一本(だいたい1時間から1時間半程度)のお芝居(お話)を、その場でまるまる演じる」ことが、それに当たります。
あるいは、伝統的なロングフォーム(これも30分以上が一般的で、一定の枠組みがあるもので、幾つも種類があります)や、インプロ・ゲームやロングフォームの要素を換骨奪胎して、オリジナルに枠組みをつくったもの、などもそう言えるかもしれません。
また、これとは別に他の分野(ビジネスや教育、医療など)にインプロの知見を活用して、その分野の学びを深めたり、課題を解決したりするものに、応用(アプライド)インプロというものもありますが、これもまた別の話になるので、ここでは割愛します。
とまあ(インプロ・ゲーム自体でも、その種類や用途は多岐にわたるのですが)、インプロ・ゲームは、インプロを構成する単なる要素に過ぎない、ということがお分かりいただけますでしょうか。
(3.についての補足)
インプロ・ゲームについて
その数はとにかく沢山あり、数百とも千を超えるとも言われます。
※ちなみに、インプロ・ゲームとは何かについてのちょっと変わった角度からの考察はこちらのポストをご覧ください。
具体的にどんなものがあるかについては、上記のポストにある、ごくごく基礎的なインプロ・ゲームのアーカイブ動画(100ゲームあります)を見ていただくか
インプロ・ゲーム集のような書籍を参考にすれば一番わかりやすいです。例によって洋書でご紹介すると、お勧めとしては、例えば…
があります。
また、Kindle Unlimitedでも読めるものとしては
等もありますので、興味のある方はご覧ください。
フォーマットについて
また、インプロ・ゲームは比較的その所要時間が短いことから、ショートフォームと呼ばれることがあり、これに対してそれよりも長いものをロングフォームと呼びます。
(どのくらいの時間のものからショート・ロングが分かれるかは疑義があるようです)
また、僕は個人的に、ロングフォームには満たないけど、ショートフォーム(インプロ・ゲーム)というには長いものを、ミドルフォームと呼んだりしています。
以下の動画は、僕がミドルフォームと呼ぶ長さのなかで、「ターンテーブル」と呼んでいる(本によっては「Cube」や「Death Box」とも)フォーマットです。
僕は見切れていて映ってませんが、4つの場面が、私の合図によって、ターンテーブルのようにくるくると入れ代わり立ち代わり展開していきます。
今回は僕の演出(と稽古における指導)で、次第にシーン間の要素がつながっていく(これを「Intellectual connection」と呼びます)ようにしてみました。
百聞は一見に如かずなので、こちらもご興味のある方はご視聴ください。
4.アイスブレイクみたいなものである
ご存知ない方のために、一応ご説明しておくと、「アイスブレイク」というのは「見知らぬ人どうしの出会い場で使われる技術」で、よく「ワークショップ」や「ファシリテーション」などの場で用いられます。
主な用途としては「出会いの緊張をほぐす」があり、大抵は「その後のメインとなるプログラムにスムーズに移行する/をリラックスして行う、ための準備」としての位置づけで行われます。
数あるインプロ・ゲームの中には、使い方によってアイスブレイクに資するものもある為、そうした位置づけで用いられるものもありますが、先に述べたように、インプロ・ゲームはそれだけに収まりません。
ワークショップ」や「ファシリテーション」(あるいは企業研修)などの場でインプロ・ゲームを知った人は、「インプロ・ゲーム≒アイスブレイク」と認識する人もいるようですが、インプロを扱う僕の認識では、「インプロ・ゲームの中にはアイスブレイクとして活用できるものもある」ということから「インプロ・ゲーム>アイスブレイク」という捉え方をしています。
参考図書
5.エチュードやアドリブのことである
この二つは、演劇という分野に限っては、先の例に倣えば「インプロ>エチュード>アドリブ」という認識ですが、必ずしも並列して比較されるものでもないので、簡単に僕のとらえ方を記します。
ちなみに、インプロ(英語)、エチュード(フランス語)、アドリブ(ラテン語)で、全部日本語訳は「即興」ですが、単なる言語の違いではなく、内容的にも違うものだと思うので、そこら辺を書いていきます。
※これは完全な独断と偏見なので、「全然違うよ!」という人は、ぜひ僕にご教示いただければ嬉しいです。
まず、ざっくりと僕のイメージでは
・インプロ:即興演劇
・エチュード:即興演習(練習)
・アドリブ:即興での繋ぎ
と認識しています。
5-1.エチュードについて(養成所でよく行われる)
僕の認識では、エチュードは、よく養成所などの訓練の場で演技のトレーニングのために行われるもので、比較的かっちりと設定(誰が何処で何を)が与えられているものです。
その与えられた設定の中で、役としてどう生きる(感じ、考え、行動する)か、の習作であり、原則としては演技のトレーニングの範疇に入り、ある場面を演じるものが殆どです。
もちろん、インプロにもそうした範疇に入るものはありますが、もっと設定がおおまかだったり(そもそも殆どなかったり)、場面を幾つもまたいだり(時に一つの物語をまるまるやったり)するものもあり、とカバーする範囲が広い(狭い場合もある)といった印象です。
5-2.アドリブについて
こちらは先に記載したように、基本的には「繋ぎ」(場面の中や場面の区切れ目の)であり、中にはアクシデント対応というものも含まれます。
繋ぎながら、予め決まっている筋から逸脱せずに、間を持たせる/つじつまを合わせる、というものです。
時間としても、エチュードに比べると短いことが多く(インプロは短かったり長かったりするので比較できない)、アクシデント対応の面からは「機転が求められる」こともしばしばです。
という訳で、インプロは、アドリブやエチュードを含む場合もあるが、それよりも広範なものを扱うものである、という印象を持っています。
また、僕がいうインプロは、16世紀のコメディアデラルテの流れを汲んでいるものも含まれ、主に英米で1950~70年代に勃興し、そこから様々なカンパニーや人々によって受け継がれたきた一連の技術及び思想(哲学?)の系譜
(各カンパニーや個々人によって特色があるので、統一された体系というよりは、散在している緩やかなまとまり、と捉えています)
を指していますが、この話はメチャクチャマニアックなので、気が向いたら何処かで、簡単に触れたいと思いっています。
と、また気がついたらまたもや7000字弱の冗長な(?)ポストになったので、この辺でお開きにしたいと思います。
みなさんのご認識はいかがでしょうか?「ここはちょっと違うかな…」だったり、「もう少し詳しく言うとこうかな」などがあれば、ぜひお聞かせください。!
また、他にも勘違いはあると思うので、ぜひ「こんなのもあるよ?」ってのも併せて教えてください!