インプロは誰のもの?

今はないものについて考えるときではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである。

Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is.

アーネスト・ヘミングウェイ

という訳で、表題はヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の文字りです。ベル(鐘)の絵に気づきましたか?もし気づけた人はListen(この場合はLookに近いですが…)が鋭い人かもしれません。余談ですが、大学生の時にそれまで受験勉強でタイトルと著者だけ覚えた海外の古典小説をあらかた読み尽くしたつもりですが、ついぞヘミングウェイの『老人と海』は読み切れませんでした。あとメルビルの『白鯨』とトルストイの『戦争と平和』。ドストエフスキーはほぼ読破(『カラマーゾフの兄弟』だけ漫画でだけど…)。お気に入りはスタンダールの『赤と黒』とトマス・マンの『魔の山』です。

 

前回のポスト↓ではAgreementについてで、

hechapprin.hatenablog.com

 

その中で

・YES ANDの前提のような感じでAgreementはすごい大事

・AgreementをするにはListenが大切

・Listenをするには全てを聴くことが重要

といったところを見てきました。

 

特にListenについては、

言葉だけに惑わされず、プレイヤー(演者)が何を求めているのかを読み取る

ということで、それには

「相手の表情/目線/感情/ボディランゲージ/声の調子/間/エネルギーなどなど、場の持つ雰囲気、相手との間に流れるバイブス、テンション、温かみ、et cetera」≒「そのとき、その場にある、ありとあらゆる情報」

をつかむことが大切になってくると、解釈を加えてみました。

 

そして、Agreement(そのためのListen)って、知っていると(かつ扱えるとなお)インプロに限らず、私たちの日常においても役立ちそうなのって、なんとなく想像がつきませんか?みたいなことにもチラッと触れました。

 

実はインプロって、こうした日常においても、なかなかにお役立ちになる技術や概念だったりがテンコ盛りだったりします。

 

とくにステータスなんて概念(ざっくりいうと「力関係」。これも多分どこかで詳しく触れます)は理解して、少し使えるとめちゃくちゃ有用(むしろ悪用厳禁?)だと実感しています。*1

 

まあ、インプロも大きくは演劇の一分野と捉えることも出来ますし、演劇は往々にして人生の写し鏡だったりすることからも、当然といえば当然かもですが*2

 

ところが演劇自体は、日本でも近年はその教育/学習効果に、子供だけでなく大人にも一部では注目が集まっているみたいですが、まだまだ一般的とは言えない状況かと思います。*3

 

実際、ちょっと演劇って、たまに趣味として観に行ったりはすることは仮にあったとしても、なかなか自分でやるってなるとハードルが高いし、どこかちょっと遠い別世界のものって感じがしませんか?

 

僕自身も普段は会社員であくせく*4働いてますし*5実家に帰れば、両親の物わかりのいい*6息子ですし、たまに姪に会えば*7友達に近い伯父さんですし、知らない人が大勢いるところでは、*8お調子者ですし、その場その場で色んな役割を無意識のうちに使い分けています…。

 

ん?役割を…使い分ける???

 

…はい。フリがおそろしく乱暴ですが、ひょっとするとこれを読んでいるあなたも様々な役割を色んな場面や相手によって、使い分けていたりしませんか?

 

長年一緒にいるバートナーの前ではムスッとしてる一方で、久しぶりに遊びに来た孫の前ではデレデレしてみたり…部下の前では偉そうにふんぞり返って時に怒鳴り散らしたりしながら、上司の前では平身低頭でコメツキバッタのようにペコペコしていたり…バイト先では無気力そのもので淡々と時間が過ぎるのを待ちながら、推しの応援ともなると寝る間を惜しんで全力で準備したり…

 

これらぜんぶ、その役割を、無意識にでも身にまとって、日々を過ごしているとも言えると思います。

 

この役割っていうのは、その状況で期待されている/そう在りたいと思うことに沿って、あなた自身が振る舞うってことで、それはもう、役を演じるってことの相似形と捉えることができそうです。

 

そう考えると、なにも演技は特別なことではなく、日々僕たちが自然と行っていることと地続きな気がしませんか?(強引?)

 

これをして、かのシェイクスピアは「この世は舞台、人はみな役者(-All the world's a stage, -And all the men and women merely players. )」と『お気に召すまま』で喝破したのではないでしょうか?とか賢ぶってみたい…

 

そういえば僕の敬愛する鴻上さんも近年こんな本を出されていました(いい本なのでちょっとでも興味があればぜひお読みください!)。

 

これなんてサブタイトルがモロですよね。

 

ちなみに僕が強烈にお勧めしたい鴻上さんの本といえば、ずっと書くとは言っていたものの、なかなか続報がなかったこの本がついに出版されました。

 

 

この本の中でも、演劇のワークショップが演劇界以外でも急速に求められ広がっていて、教育界やビジネス界はもとより、一般レベルでも関心が高まっている、とあります。

 

その主な理由は3つが挙がっていますが、その内の1つは、大人たちも抱える人間関係の問題(後の2つは子供たちの遊びと学校教育)です。*9

 

そしてインプロも演劇であるからには(その中でも僕が大切にしている「共創」は特に)、この人間関係を扱うところも多分にあり*10

 

その素敵なところは、これをゲーム形式で遊ぶ感覚で始めることが多いので、楽しみながら、ときに試行錯誤を繰り返して、いろんなケースを経験することができ、それは言ってみれば、日常の予行演習にもなるというところです。

 

そんなこんなで、インプロがうまく作用すると、楽しんで遊んでいたら、そこで獲得/解きほぐされた思考や行動の様式が日常に転移して定着していた、なんてこともままあったりします。

 

「いやいや、それはインプロ(広くは演劇)をやっている人のひいき目でしょ?そんなこと実際にあるの?」と思われる方もいるかもしれませんので、ここで一つ実例を示したいと思います。

 

といっても、僭越ながらそれは僕の執筆した「インプロが促す発達」の内容だったりするのですが…

 

※こちらの本です(隙あらば宣伝)

 

ここで僕の執筆した内容は、大掴みにいうと「とある大学の演劇部にインプロを演技のトレーニングの一環として指導していたら、図らずもその大学生たちが発達する(思考や行動の様式が変容する)ことも副次的に起き、かつ、それが定着していた」という論旨の、インタビューを元にしたレポートなのですが

 

そのインタビューへの回答の一部を今話題のChatGPTに回答(インプロをしてみての感想)のまとめと評価をさせてみたところ

この即興演劇学習者の感想は、自己効力感(自身が問題を解決できるという信念)と、他者への信頼が育まれたことを示しています。また、「できるとまではいかないけど、失敗してもまぁ先輩がフォローしてくれるから大丈夫か」というコメントは、安全な環境の中でのリスク取りが自信に繋がることを示唆しています。

重要な学びとして挙げられた要素は、観察力、相手への理解と受容、自己表現、失敗を恐れない勇気など、コミュニケーションスキルと自己理解の向上につながる要素です。また、失敗を経験することの大切さを理解し、それによって成長する姿勢も感じられます。

全体として、即興演劇はこの学習者に対して自身の能力と他者への信頼を育む場となり、積極的な行動へのモチベーションと柔軟な思考を促したと言えます。これらはすべて人間関係や職場など、人生のさまざまな場面で役立つ重要なスキルです。

と、なんかすごいいい感じのことが列記されてるし、「人生のさまざまな場面で役立つ」とまで書かれてきました!?

 

演劇が日常と地続きであり、その内容が人生のさまざまな場面で役立つのならば、これはもうインプロは、現代を生きるみなさんにとってのものであると言っても、過言でもないような気がしないでもないです。

 

はい、インプロとは「みんなのもの」なのです!(強引?)

 

だから…一緒にやろ?(子犬のような眼)

 

そういえば、こんなタイトルのインプロの洋書もあります。

※この本はインプロで良いシーンを作るために、前半は理論編、後半は実践編になっていますが、その実践編はほとんどゲームとなっています*11

 

そして繰り返しになりますが、インプロはその初歩としてはゲーム形式で親しむことが多く、楽しみながら、というか遊びながら、学んでいくことになります。

 

ちなみに先の本の中で、鴻上さんはゲーム*12について、こんな解釈を記しています。

 

*13

 

また鴻上さんは先の本の中で「ゲーム」と「遊びと学び」について

ゲームは、学びと遊びを区別しません。本当の学びは遊びでもあるのです。

と書いています。

 

これはゲームによる学びの定着性を示唆しているようにも思えます。

 

 

 

 

また、英語の「play」は日本語で「遊ぶ」ですが「演じる」でもあります。ここら辺も本質的には遊ぶことが演じることと違わないことを表しているのかも知れません。

 

その意味ではインプロは「即興演劇」と訳されることも多いですが、特に「インプロ・ゲーム」の場合は、「即興遊戯」と訳したほうがしっくりくる場合も多いと考えています。

 

ただし、インプロを学び(発達/思考行動の様式変容)に活用する際の注意点として、僕はその執筆の最後のまとめの中に

インプロは適切に活用されれば、人の変化や発達に大いに寄与するチカラがあるとい うことである。
ここでいう適切にというのは、以下2つの要件を満たすものと考える。

1.インプロにおいて大切な心構えが浸透し、体現(あるいは、体現しようと)されている場である

2.指導者が対象者の状態を見極め、狙いに応じて適切なインプロ・ゲームを提示し、意図を持った説明ができる

ということにも触れておきました。

 

次回はこのことについて、もう少し深掘りしてみたいと思います。

*1:何処かの何かで、これの扱いが上手い先生は、生徒たちと一緒に仲良くふざけ合ったりもできながら、ビシッとするときはちゃんということを聞かせられる的なことを読んだ気がします。場を扱う人たちにとっては、場を緩めると締めるというと分かりやすいでしょうか。それに関連するスキルと思われます

*2:もちろん演劇という虚構の世界で繰り広げられるからこそ、普段よりも大胆になれたり、日常だと社会規範的/倫理的に許されないことも行われたりもしますが、それもまた意味があることだとも思います

*3:僕が20年前!?に留学した英国(ロンドン)などではドラマ教育なるものが盛んで(と聞いたり読んだりしたことが…ご興味ある方は、例えばDIE(Drama in Education)とかを調べると良いかもです。米国だったらクリエイティブ・ドラマかな?)日本でもそれを扱っているところがあるようです。

*4:かどうかはおいておいて

*5:FIREしたい!

*6:だいぶ脛は齧ったけど

*7:ちょっと癖が強いけど、ゲームやら民俗学やら都市伝説やらの話ができる

*8:やたらはしゃぎ回る

*9:この本で扱っているゲームは、シアターゲームと書かれていますが、ここでのシアターゲームはインプロとして扱っているところも多く、本質的には通底するところも多いため、大きくはインプロ・ゲームと呼んでも差し支えないと考えます。なにをもってインプロ・ゲームと呼ぶかは、また別の機会に考察してみる予定です。

*10:それだけでもないですが、その他の部分も結局は人間関係となんらかの関係があります…ややこしいな

*11:少しメソッドの五感(感覚)の記憶の要素の内容もあります

*12:この本で扱っているのはシアターゲームとされていますが、インプロ・ゲームはシアターゲームを取り込んでいるところもあるので、以下の文面のゲームはインプロ・ゲームと読み替え可能と思います。

*13:ゲーム形式で行われることが重要なポイントです。無条件で楽しさが生まれます。ゲームをうまく進めたり、勝つためには、同時に観察力も求められます。表現のために最も必要な集中力と観察力を、ゲームで身につけられるのです。また、一人でやっていては気づかないことが、集団でやることで見えてきます。ほかの人の表現を見たり、他の人から反応をもらったりすることで、自分がやっていることが初めて明確にわかるのです。